東京マラソン2015に参加して東京観光と青春を回想してきた。
東京マラソンに参加してきた
東京マラソン2015に参加してきたので、まとめておくことにする。
愛媛に落ちて、東京に受かる
去年の愛媛マラソンに出走して初のフルマラソンを完走し、次はぼんやりと都市型マラソン大会に出たいと思い、大都市を走る福岡、大阪と共に東京にエントリーしてみた。福岡は落ちたが、大阪と東京に当選した。そして地元の愛媛は落選。関東に住んでいて落選が続いている友人達に申し訳ない気持ちで一杯ではあったが、東京マラソンの出走を決めた。
大阪での反省を活かせるか?
昨年の10月の大阪マラソン(part1,part2)では、初マラソンの愛媛の時と同様に、見事なまでの30kmの壁にぶつかってしまい、そこをどうにかクリアしてSub4を達成したいというのが今回のチャレンジだった。
前回はできていなかった30km走も2回こなし、足裏の故障で走れなかった12月の一ヶ月は筋トレの習慣を作り、2月上旬から糖質制限を行って2kgぐらい体重も落とし、準備をしてきた。
直前の20km走で痛めたらしい足裏のため、トレーニングも控えていたが、最悪ゆっくり走っての完走もよしとして参加した。
楽しむことを第一に
大阪では、レース運びに夢中で周囲の景色を楽しむ余裕がなかった。土地勘がないのもあったが、通天閣を見逃したのはショックだった。
今回は東京の街並みを楽しむことも大事な目標とした。といっても単に観光名所を眺めて見て回るだけではない。新宿から始まりビックサイトに終わる東京マラソンのコースは、39年暮らしてきた関東での自分の人生の景色が至る所に刻まれている場所だ。学生時代、結婚式、新入社員、フリーランス、そして転職後。それぞれの時代に、それぞれの場所で、それぞれの思い出がある。その思い出の場所をしっかり見てこようと決めた。
2010年に愛媛に越してからは、ほとんど訪れる機会がなかったこれらの場所をまとめて訪れることができ、更には東京タワー、雷門、スカイツリー、歌舞伎座、などの観光名所も見ることが出来る。こんなに1日でコンパクトに東京各所を回れるツアーは、はとバスでも不可能ではないか?
東京の街並み、記憶が、走馬灯のように…
スタート直後
スタート直後は当たり前のように前に進まず、スタートゲートを通るまでに10分以上かかった。大阪マラソンでも8分くらいだったので東京マラソンの人の多さを実感した。そして都庁前の観客席の大きさに驚いた。久しぶりに間近でみた都庁は大きかったな。
スタートから10kmは下りが続くのでペースを抑え気味に走った。どの攻略法みても最初は抑えろと書いてあるしね。見慣れた新宿靖国通を大勢で走り抜けるのはとても非日常な感覚だった。
外堀通り〜日比谷通り
外堀通りを走り、自衛隊駐屯地でのブラスバンドの演奏が気分を盛り上げてくれる。市ヶ谷は初めて入社した会社のオフィスがあった場所だ。もうオフィスは移転してしまったが、よく通った中華料理屋、何度も通った道を横目に飯田橋に向かう。
飯田橋から内堀通りへ。バイト先に実家から車で通う時によく通った道。夜中にここを通って、環七でよくラーメンを食べて帰ったっけ。さらには日比谷通りへ。今は無き新日本石油のビルに常駐していた時、何度もタクシー帰りしたなぁ。
第一京浜〜晴海通り
第一京浜で三田・田町方面へ。働いて3つ目のプロジェクトで芝浦に一年以上常駐してたなぁ。勉強会でも毎週通ったり、転職後の勤務先のオフィスが芝浦に引っ越したのでよく呑みにいったなぁ。そうそう、ラーメン二郎の本店にも行った。
銀座経由で日本橋へ。晴海通りはバイトに行くのに歩いたり、バスに乗ったりしたっけ。有楽町のゲーセンにもよくバーチャファイターやりに行ったなぁ。
浅草〜晴海通り
雷門の前に来た。浅草って何回来たことあったっけ?ふと右を向くとてっぺんが霞んで見えないスカイツリーがすぐそこに。スカイツリーができてから浅草に来たことなかったなぁ。そうそう、そういえば黄金のウ○コも浅草だったね。隅田川の花見にも行ったなぁ。
再び日本橋経由で晴海通りに戻り、歌舞伎座の前へ。今回はランナーとして参加できずボランティアとして参加していたラン友を探すが見つからない。そして築地・新富町付近へ。2000年に行った結婚披露宴はこのあたりの聖路加タワーの47Fだった。屋上のレストランルークまた行きたいなぁ。
佃大橋〜豊洲
そして佃大橋〜朝潮大橋〜春海橋へを通って豊洲方面へ。バイト先に向かうために何度も通ったこの道。当時はこの辺りの高層ビルというと、日本ユニシスのビルか、NTTデータのビルくらいしかなかった。今では高層ビルが乱立するエリアになり当時とはまったく別の景色が広がっている。月島のもんじゃやき屋とかよく行ったなぁ。バイトの休憩中によく海を見てたっけ。
バイト先で御世話になった皆さんは、今どうしているのだろう?皆さんに連絡をとらずに愛媛に渡ってしまったなぁ。そんなことを考えながら、ひたすら足を動かしビックサイトに向かう。
佃大橋は38km付近。橋の上で、どこかの誰かが大音量でロッキーのテーマを流していた。一番苦しい時期に聞くこの曲には本当に力をもらった。
坂を乗り越えて
後半のコース途中にいくつも坂があったけれど、愛媛マラソンの途中にある平田の坂に比べれば、どれも短く苦にならなかった。過去2回のフルマラソンでは30kmを越えたらちょっとの坂があるだけでも辛かった。でも今回は坂でもそれほどペースが落ちない。辛くなってからも足を動かすことで前に進むことが出来た。足を打ち付けるのではなく、膝をうまく使ってソフトに接地を意識。小刻みに足を動かし、前に進む。
楽しんだか?
そうこうしているうちに、残りの距離がどんどん短くなってきた。「あと5km」が、3、2、1kmへ。
初めての愛媛の時も、大阪の時も、後半が辛くてひたすら走り慣れたマイコースを脳裏に浮かべながら「後5kmだ。後3kmだ」と自分に言い聞かせながら戦っていた。時計を見る余裕もなかった。でも今回は違った。景色を眺めながら自分に何度も問いかけた。
「東京を楽しんだか?」
東京に行く直前に愛媛のラン友のFさんに伺った話を走りながら思い出していた。その方のマラソンの楽しみ方は「沿道の応援してくれる人々に声をかけること」だった。自分の走りに没頭するのでなく、沿道で応援してくれる人々に挨拶やハイタッチをすることがなにより一番楽しいのだそうだ。
東京マラソンは、本当に多くの人々の応援があった。私設エイドあり、ブラスバンドあり、仮装あり。Fさんにはとても及ばないが、普段よりもずっと多く、沿道の人やボランティアの方々への挨拶やハイタッチをしてみた。顔も口角を上げて笑顔を作った。応援を見て走りながら笑った。ワラーチ(ランニングサンダル)で頑張ってる方に声をかけた。そうやって、たとえ1人で出走していても、単に自分1人で走るのではなく、周囲の人々との関わりを作ることで以前よりもレースを楽しめたし、結果もついてきた気がする。
「自分なりに、精一杯、楽しんだ!」
ゴールタイムはグロスで04:08:57、ネットで03:56:35と、なんとかネットでの4時間切りは達成できた。なにより嬉しかったのは、過去2回のフル挑戦で共にぶつかっていた30kmの壁を乗り越えられたことだ。理想とまではいかないけれど、それに近い形でレース運びができたことが素人ながら嬉しかった。
レースを終えて
今回は、12月がまるまる足裏の痛みで休養となり、直前の練習でも違和感があったりと万全ではなかったが、それなりに走ることが出来たのは本当に幸運だった。
今回のシューズは、ムーンスターのジャガーエースG。これまででもっとも靴底が薄いシューズだ。こいつでフルマラソンを走れたので、更にベアフットランニングへの自信がついた。次こそはランニング用に仕立てたワラジでフルマラソンをチャレンジしたいと思う。もちろんPBも更新させながら。次はSub3.75(3時間45分切り)を目指そう。
そしていつか…裸足でフルを完走したいな。
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