パーマカルチャーデザイン奮戦記・前編
はじめに
以下の記事は、2014年2月にパーマカルチャー関西のメルマガに寄稿した記事を元に、加筆修正したものです。 対象読者はパーマカルチャー関西のデザインコース、実習コースの卒業生を想定しており、パーマカルチャーについての基礎知識はあるものとしています。
記事
PCKデザインコース五期(2011年)卒業の愛媛在住の懸田(かけだ)と申します。はじめてメルマガコラムを担当させて頂きます。
本業はお客様のソフトウェア開発の現場にプロセスやチームワークを指導するコーチですが、あることがきっかけでパーマカルチャーに興味を持ちデザインコースを受講することにしました。
そのきっかけというのは、実は本業のソフトウェア開発に関係しています。ソフトウェア開発の方法論が、パーマカルチャーに影響を受けていたのです。「XPエクストリーム・プログラミング入門」という書籍の参考文献に「パーマカルチャー―農的暮らしの永久デザイン」が紹介されていました。著者は「両社の間にはいつかの共通点がある」と記しています。例えば「エッジ効果」というパーマカルチャー原則がありますが、これはソフトウェア開発者と顧客を同じ場所で仕事をするようにすることで、開発者と顧客の間の相互作用を最大にするというエッジ効果を応用した取り組みということです。
また最近では、「Organizational Permaculture」という組織のデザインにパーマカルチャーを応用しようという考え方も生まれてきています。
人間も、植物や動物と同じ生態系の一部であり、組織は人の特性や役割を元に配置している集団です。パーマカルチャーのデザイン対象にコミュニティが含まれているのを考えると、実は両社の関係はそれほど不思議はないのかもしれません。
さて、ここからは、自宅の庭を舞台にしたパーマカルチャーデザインに試行錯誤する模様を皆様にご紹介して、楽しんで頂ければと思います。私は東京から愛媛に2010年に引っ越してきました。それまで亡き義祖母が菜園として利用していたエリアを使わせてもらうことになりました。
まずは、デザインの対象となる自宅の庭の特徴を示しておきます。
- 自宅の南側にある日本庭園の更に南側に菜園予定地がある
- それまでは化成肥料を利用、除草ありで雑草はイネ科中心
- 元が田んぼでその上に真砂土を敷いているため土壌は肥沃ではない
パーマカルチャー的な生活を志す私が最初に想い描いたビジョンは、「単なる食物生産の場ではなく、多様性あふれた食べれる庭にしたい」でした。そのためには、多様性を育みながらも、肥沃な土壌を育てないとなりません。腐葉土やバーク堆肥などの資材の投入も多少は行いましたが、更に実施したのは、マメ科の土壌改良の効果を期待して、畝の横や空きスペースにクローバー(シロツメクサ)の種を播くことでした。マメ科の利用はパーマカルチャーや自然農法でも有名な取り組みです。
実際にクローバーの種を蒔き繁茂するようになると土壌が覆われて乾燥しにくくなりました。背が高くなり過ぎたクローバーを刈って畝にマルチとして置くことで畝の乾燥防止と緑肥の相乗効果もありました。また、クローバーの周辺に虫が住みつくようになりました。クローバーはモンキチョウやツバメシジミの幼虫が好む草でもあります。特に地上性のクモをよく見かけるようになりました。クモは害虫を捕食してくれる益虫ですので大歓迎です。
しかし、当初の「土壌を肥沃にする」という目的が順調に行われているのかどうかは正直まだ実感できていません。クローバーを蒔いてから3年ほどですから、これからなのかもしれません。
一方、やや困っていることとしては、クローバーの旺盛な繁殖力です。放っておくと庭全体がクローバーだらけの草原になってしまいそうです。そのため、毎年エリアを限定するための除草が必要になってきます。クローバーは這うようにして拡がっていくように見えますが、離れたエリアにも突然出現していたりするので、種子でも増えているのでしょう。「別に除草をしなくてもいいじゃない」という考え方もありますが、菜園のすぐ横には物干し台があり、あまり雑草が繁茂しすぎると、洗濯物干しの際に邪魔になってしまいます。
その後、畝の脇には被覆性ではないアカクローバーを植えました。アカクローバーは起立性のためクローバーに比べると拡がりはしませんが、その草丈は50cm以上にもなり、畝に植えてある野菜が見えなくなるほどに繁茂してしまいます。これも定期的に草を刈ってマルチにしていますが、本当にクローバーは生命力があることを実感しています。
人間の意図通りに自然は変化してはくれません。パーマカルチャーでは人が自然の機能をうまく使って農園をデザインしていきますが、「人が自然の力を道具として使って目的を達成する」という傲慢な姿勢よりも、むしろ「人が自然の力を少し借りることで恵を分けて頂く」という謙虚な姿勢が必要なのでしょうね。
まだまだ試行錯誤は続きそうです。