沢田マンションに学ぶ"いきいきとした"モノ作り
- Published
- 2009/06/27
- Updated
- 2009/06/27
“はじめに”のはじめに
本記事は、 EM ZERO vol 3.1 に寄稿した記事の元となる原稿をアップしたものです。また、デブサミ2009のLTで話した 沢マンに学ぶいきいき の元となるアイディアとなっています。様々な要素を含む沢マンの本質を、少しでも伝えることができていたら嬉しいです。
はじめに
高知にある世界最大級のセルフビルド建築物である沢田マンション(通称:沢マン)。筆者らは、アジャイルプロセス協議会のワーキングルプープのひとつである、アジャイルマインド勉強会のメンバーとして高知に足を運び、実際にそのマンションに泊まり、住人の皆さんと交流し、そして作り手である、沢田マンションの大家さん 1 にお話を伺ってきました。本稿では、なぜ高知までわざわざ足を運ぶことになったのか、そして沢田マンションの魅力を訪問した2人の別々の観点から紹介を試みます。
沢田マンションとは
世界最大級のセルフビルド建築
まず最初に沢田マンションについて触れておきましょう。
沢田マンションは、高知県高知市薊野にある、地上6階地下1階、全70戸の鉄筋コンクリート造のマンションです。大きな「沢田マンション」の看板、屋上のクレーン、そして1階から3階にかけて伸びるスロープが特徴的な建物です。これだけなら、ちょっと変った建物で済んでしまうだけですが、驚くなかれ、この規模の鉄筋RC造のマンションを夫婦たった二人で作り挙げたのです。
時は遡ること30数年前、1971年より、沢田夫妻が、「人間の限界に挑戦したい」「100戸のマンションを作りたい」という目標を掲げてたった二人ではじめたマンションづくり。元々大工で木造建築を手掛けていた二人は、それまでに一度も鉄筋コンクリート造の建築の経験はありませんでした。専門の学習もせずに、二人はすべて自分達でゼロから学び機材も含めてほとんどを自作しました。例えば資材運搬用のリフト、クレーン、製材機械、などなど。世界を見渡しても、セルフビルド(お金を貰わないで、住む人が自ら作る)による鉄筋コンクリート造の建物として類をみない最大級の建物です。しかしその一方では、法律に準拠していない違法建築扱いでもあります。
その異形な姿がはじめてTVを通じて知られることになったのは、1994年のABC朝日放送テレビ 『探偵!ナイトスクープ』での取材があってから。 2 「高知の九龍城 軍艦島マンション」というタイトルで、建設途上の姿が紹介されました。周囲も現在とは異なり田んぼで囲まれていたようです。その後もTV、雑誌の取材などで少しづつ知られるようになりましたが、2001年に芝浦工業大学、東京理科大学の合同調査隊が入り、その後も東京理科大チームが調査を進め、修士論文としてまとめられました。それを元に出版されたのが、「沢田マンション超一級資料—世界最強のセルフビルド建築探訪」(以降超一級資料)です。 3
スモールリリース(MMF)建築
沢マンは、1棟を大きく3つの工期に分けて建築されました。西から東へとマンションを拡張していって、工期が終れば、完成したところから順次部屋を貸し、家賃収入としていました。後に大家さんに話を聞いたところ、工期単位どころか、一部屋単位で、できたら人に貸していたといいます。マンションとしては究極のスモールリリースと言えるでしょう。最近のアジャイル開発界隈の用語で言うと、一つの部屋が Marketable Minimum Feature (市場に価値がある最小機能、略してMMF)として定義されていたと言えます。言い換えると、 部屋ができる度にリリースすることで、新たな収入を得られる ということを意味します。
また前述の「超一級資料」によると、工期を経る毎に、工法も徐々に進化していっているそうです。増改築を繰替えしてきた沢マンですが、オーナーの沢田嘉農さんが2002年に亡くなってからは、大きな増改築は行っておらず、小さなメンテナンスを中心に作業しているそうです。
車も通れるスロープ
沢マンに近づいた後に目を魅くのは、1階から3階へと登るスロープです。このスロープは住人が徒歩で歩くだけではなく、車が3階まで上れる構造になっています。更に驚くべきは、マンションを貫通して裏側へと通じているのです。このおかげで軽自動車であれば、4階まで車で上がれるようになっています。
ダイナミックに変化する建築物
更に驚くのは、この4階まで伸びるスロープはもともと計画されていたものではなく、 マンション建築後に追加で作られた のです。逸話としては、貫通した部分には元々住人が住んでいた部屋があったのですが、大家さんが「スロープを裏に貫通させたいから、部屋を移動してくれ」と説得して部屋を移ってもらって、部屋を潰して貫通させたそうです。この例は極端ですが、沢マンでは、作った部屋を繋げて広い部屋にするなどは、それほど珍しいことではないそうです。
例を挙げると、建設当時(1970年代)はともかく小さい部屋を多く作るという思想でしたが、昨今の住宅事情では部屋の広さがひとつのキーとなります。そういった社会事情に対応するために、二つの部屋の間の壁を取り壊して一つにしたりすることは沢マン的には朝飯前なのです。このことは、自動化されたテストの結果を変えぬままに、内部構造を改善する(=リファクタリング)ということに非常に似ています。
このスロープ自体も最初に作った時点から、修正が入っています。最初のバージョンでは建物に近すぎて住人からクレームがあったため、位置を見直したそうです。その名残はスロープをよくみると読み取れます。このことは、スロープで上に挙がることができる、という振舞は満たしつつ、その表現方法を変えていると考えることができます。
人も資材も挙げるリフト
沢マンの特徴として目にとまるのが、看板が掲げられているリフトです。このリフトは前述の通り、沢田夫妻の手によるもので、エレベーターのない沢マンではエレベーター代りにも使えます。エレベーターとは異なり、各階に止まるボタンなどはありません。そのため自分で停止ボタンを押してタイミングよく停止させる必要があります。 4
手作りクレーン
最上階に聳え立つクレーンも、他のマンションの風景とは一線を画しています。こちらも沢田夫妻の手によるものですが、何度も倒れたり折れたりしながら、調整して今に至るそうです。前述のリフトと同様に、沢マンのDIY精神を体現していると言えます。
通路兼集合ベランダ
沢マンでは、幅の広い通路が各戸のベランダを兼ねており、部屋を中心に通路が取り囲むようになっており、集合ベランダのような構造になっています。洗濯物などはすべて通路側に干されており、マンションでありながら、昔の長屋感覚で人が住んでいるのです。
土と共に…花壇、樹木、畑
沢マンの各フロアの外壁には、目隠しの意図もあり花壇が設置されています。半分野性化されたアロエが群生していたり、家庭菜園のように野菜が植えられていたり、その使い方は住人に委ねられています。 各フロアには花壇とは別にいたる所に樹木が植えられています。 スギ、マツのような樹木だけでなく、柿、柑橘類といった果樹も多数あります。マンション内なのに、もぎたての秋の味覚を楽しむことができるのです。 また大家さん宅の部屋がある5階の庭は、松の木が茂り、ニワトリが歩き、池には鯉とアヒルが泳いています。 どう見ても一戸建ての家の庭にしか見えません。
そして最上階の6階には、大家さん一家所有の畑が広がります。畑にする前は水田にしていて米を作っていたそうですが、今はマンションとは別に土地に水田を所有しています。米づくりはそちらに譲って、マンション6階では、トマト、ナス、パプリカのような野菜を作っています。写真をみただけでは、この畑が6階であることなどはさっぱりわかりません。元々屋上に土を入れるというアイディア自体は、断熱をその主目的としていました。実施した当時(1970年代)を考えてみると、ここ数年の屋上緑化や畑ブームを30年も先駆けていたことになります。
地下ダンジョン?いえ駐車場です
沢マンには地下駐車場もあります。地下駐車場の設置は、当時高知県初だったそうです。駐車場の奥には空間が広がり、多目的ホールとして利用できます。現在は少林寺道場が併設されていますが、イベントとしてLiveが開催されることもあります。
経緯
さて、ここまでは、沢マンの特徴をひたすら列挙してきました。ここからは、なぜアジャイルマインド勉強会で沢マンに合宿で行くようになったかについて紹介しましょう。
筆者が沢マンを知ったわけ
筆者(懸田)が、この沢マンを知ったのは、2007年後半でした。アジャイルプロセス協議会の会長である羽生田さんから、「超一級資料」の集団購入を勧められ、内容も知らずに購入してみたのが、そもそもの発端です。それまでは、沢田マンションという名前も、その造形もまったく知りませんでした。その後「超一級資料」を手にして読んでから、その内容の超絶ぶりに衝撃を受けました。具体的には、建築というハードウェアにもかかわらず、その建築プロセスや改善の歴史が、非常にダイナミックに行われている点、そして独学で作りながらのフィードバック学習を経て、漸進的に構築され続け、かつ変化に適応する様に強烈なインパクトを受けました。いつしか、沢マンに一度は行ってみたいと思うようになっていたのでした。
その後、アジャイル開発の国際会議であるAgile2008のサブミッションに沢田マンションの紹介を投稿し、自由に発表してよい時間帯で、その内容を発表できることになりました。偶然、筆者の妻の実家が四国の愛媛県であるため、高知の沢マンの場所には車で2時間ほどで行けることもわかりました。そこで2008年7月に、Agile2008の資料作成のため、また家族の高知旅行も兼ねて、短時間ではありますが現地に赴きました。「超一級資料」で事前にわかっていたつもりだったとはいえ、目の当たりにした時の沢マンの実物のスケールにただただ圧倒されたのでした。「夫婦二人で作りあげたとは信じられない 」と。
アジャイルプロセス協議会からAgile2008へ
資料の写真も撮影し、羽生田さんにも沢マン訪問の報告をしていた縁もあって、アジャイルプロセス協議会の5周年記念セミナーにて、沢田マンションとアジャイルプロセスについてのパネルに、パネリストとして参加させて頂きました。その時に「超一級資料」の著者である加賀谷さんと御会いして、沢マンの更なる魅力を伝えてもらったのでした。
その後8月にカナダのトロントで行われたAgile2008にて、沢マンを世界にしらしめるべく資料を作成して聴衆を待った…のですが、力及ばず海外の方に興味を持ってもらうことはできませんでした。
アジャイルマインドに飛び火
ちょうどその頃、アジャイルプロセス協議会のアジャイルマインド勉強会 5 の皆さんが、沢マンに興味があることを知りました。メンバーは、5周年記念セミナーにて沢マンを知ったり、ちょうと筆者の職場でミーティングをしていたせいもあり、アジャイルマインド勉強会の合宿候補地として沢田マンションを選ぶことになりました。筆者は事前に勉強会の中で沢マンを訪問した時の写真や「超一級資料」の解説をして沢マンの魅力を伝えました。アジャイルマインド勉強会として沢マンに”アジャイルマインド”を感じとり、その沢マンを作りあげたマインド、そしてそこに住まう住人のマインドにも注目して、実際にヒアリング、アンケートをしようというゴールを設定したのでした。アジャイルプロセス協議会の各ワーキンググループでは、年間を通じて様々な活動をしています。その一環で各地へ赴いて合宿をすることが、各ワークンググループの通例行事となっています。 6 アジャイルマインド勉強会も、その活動の一環として沢マンへの訪問、宿泊 7 、住人や大家さんへのインタビューと、翌日に高知のIT業界の方との交流として合宿に参加する羽生田さんの講演やワークショップを企画したのです。
沢マンで見たもの聞いたもの
最初筆者は、沢マンの建築の経緯とプロセス、数々の工夫にアジャイル開発と同じ匂いを感じていました。実際に赴いて時間をかけてあちこちを回り、実際の住人や大家さんの話を聞いていると、建築物自体と、そこに住まう人々、そして大家さん一家という、個々の関連から導きだされるシステムとして捉えることが重要だということに気づきました。以降にその気づきを紹介します。
建築物としての沢マン
一介の建築物として沢マンを捉えた場合には、まず専門家の目からみると「構造的に大丈夫なのか?」という点が真っ先に議論になると言います。この部分については専門外である我々には皆目検討がつきません。実際に、スロープの支柱に強度的な問題を「超一級資料」の加賀谷さんが指摘した後に、支柱の補強作業がされたということもあります。沢マンを見学にくる人々の中には、建築関係の学生も多いそうです。そんな彼らが沢マンを目にすると無口になるそうです。「あり得ない、自分達が教わってきた常識が全く通用しない」と。
メンテナンス性重視
素人目からみても、剥き出しのパイプや、線は乱雑な印象を受けます。住人との交流会を開催してくれた38号室でも、部屋の中に上の階からの排水パイプが天井付近に露呈していました。 8 このような作りで耐久性は大丈夫なのかという気もします。パイプや線を壁に埋め込むことで、視覚的に見栄えがよくなったり、耐久性が5年向上したとしても、いつかはメンテナンスしなければならないと考えた時に、施工者かつ大家の視点でメンテナンス性を選択したと言えるのではないでしょうか。ある意味合理的な選択と言えます。
ユニバーサルデザイン
また車で登れるスロープは、ユニバーサルデザインの観点からしても興味深い構造でした。沢マンにはエレベーターがないため 9 元々は階段しかありませんでしたが、階段での移動はお年寄りにはきつい、ということでより移動しやすいスロープを設けたという理由もあるそうです。 10 スロープにした結果、自動車や自転車までもが上れることになりました。
拡張ポイントである支柱
所々に見られる支柱は、沢マンの拡張ポイントといえます。つまりこの支柱を軸に上に階を伸ばしていくためのものなのです。シンプルなインタフェースでありながら、必要十分な拡張性を持つ支柱に、シンプルを保ちながら拡張性をもたらすというヒントをもらった気がします。
作り手としての沢マン
まず第一は、やはり「やってみる、手を動かしてみる」ことの重要性です。この点については、例え二人の個体としての特出した能力が寄与していたとしても、実際にあれだけのものを作りあげたという紛れもない事実があり説得力があります。
そして、そのDIY精神には驚くばかりです。ソフトウェアで考えてみると、OSやプログラミング言語を実装して、その上で動くアプリケーションを自作してしまうことに近いと思えてしまいます。普通に考えると「なんて非効率的だ」と思ってしまうかもしれません。しかしここで思い出すのは、C言語とUNIXのことです。
C言語はUNIXを作るために開発され、その後、UNIXの上でC言語で作られたアプリケーション群が動作して、広く使われるようになりました。ソフトウェアの場合ですと、建築物とは異なり、ソースコードやオブジェクトコードの配布、複製、改変が可能なため一概に比較はできません。しかしあえて誤解を恐れず言うならば、短期的には非効率でも、長期的視点で考えると「長く使われるものを作りあげるためには、できるだけ外部に依存する部分を減らし、自分達でコントロールできる部分を増やしていく」というのは、ひとつの原則なのかもしれません。
賃貸マンションとしての沢マン
沢マンは、施主(=費用を負担する人)、大家(=サービス提供により利益を得る人)、施工者(=開発者)、住人(=サービス利用者)という構成になっています。つまりいくつかのロールは存在するのですが、そこのステークホルダーとしては非常に単純な構成、つまり大家(兼施主、兼施工者、兼住人)と住人だけです。こういったステークホルダー構成のおかげで、互いの利害関係はシンプルになります。この構成は、インハウスによる社内システムを構築する時の図式、またはサービス提供者が自らシステムを開発する図式に非常に似ています。
大家さんに聞いたところ、家賃収入のほとんどすべてを沢マンのメンテナンスに費しているそうです。毎日が修繕ともおっしゃっていました。これを「日々メンテンナンスに費されている」と捉えるのか、「日々が維持、進化である」と捉えるのかは人によって異なるでしょう。どちらで捉えたとしても、一般の賃貸マンションとして考えたとすると、毎日を修繕に費していたら、修繕のコストが重んでとてもじゃないですがやってられません。しかし沢マンでは、大家さん家族がメンテナンスを行いますので、コストは材料費だけで済みます。このメンテナンスが実現できるのも大家=施工者というロールを兼ねているためです。
また、沢マンでは、5階にある製材スペースを住人が許可を得れば使ってよいことになっています。つまり大家さんに頼まなくとも、自分で木材を使って必要なものを作れる環境が提供されているのです。住人は、建築家である大家さんに要望を行って作ってもらうのを受動的に待つだけでなく、住人が自ら能動的に開発プロセスに参加できるのです。実際に、筆者らが利用した新規オープンのイタリアン料理屋さんでは、大家さんだけでなく、住人参加で内装を手掛けて完成させたと聞きます。沢マン自体が持つDIY精神は住人にも受け継がれているのです。これも「家が人を作る」の一部だと考えらます。つまり、なんでも自分でやる大家さん一家という存在が、住人にも影響を与えていると考えられるのです。
また大家さんから見て、ベランダがなく通路に面して入口も窓もある構成は、住人の状況がよくわかるようにしているとも言っていました。通路を見て洗濯物が変っていれば、中の人が無事であることがわかりますし、窓の中が見えなくても気配はわかります。これは老人が倒れていても気づきやすい、という意図からそうしているそうです。都会のマンションだと、ともするとプライバシー侵害だとクレームがあがりそうな構造ですが、沢マン的にはむしろ必要な構造なのです。
住人コミュニティ
沢マンの住人には、昔から住んでいるお年寄から、育ち盛りの子供を持つ家族、独身の若者まで、非常に多様な人が住んでいます。我々がお世話なった38号室でも、いつも住人同士が集ってワイワイしているそうです。もちろん、マンション内の人の相性などからいくつかのグループにわかれるそうですが、人同士の交流が他のマンションに比べて多い印象を受けました。
そんな人の交流に役立つのが 抱える問題 なのです。人々はそれぞれなにかしら問題(ex. 雨漏り)を抱えていて、それは住民全員が共有しています。ゆえに、互いを思いやったり、意識したりする大きなトリガーになるのです。
例えばライフスタイルの上ではまったく交流がないおばちゃんに「あんたのところ、雨漏り大丈夫?」と声を掛けられる、ここから何となしに互いの存在を意識することになり、人的交流が生まれる。こういったことが起きているそうです。都会の何の不便もないマンションでは、部屋はすべて完結しており、こういった人と人の交流が生まれる余地はまったくありません。 11
また沢マンは、違法建築であるため、行政から監視が厳しいといいます。そういった理由もあってか、住人が自主的に防災訓練を開催しています。訓練の内容も、梯子による避難から、炊き出しまで行うようです。筆者もマンション住まいなのでよくわかるのですが、都会だと消化器訓練、通報訓練程度で済ませてしまうので、炊き出しまで行う本格的な訓練はなかなかお目にかかれません。このことも、ある意味「全員が抱える問題」がもたらした団結力なのかもしれません。
実は、こういった人の交流を促進させる理由は、デザインの賜物でもあるのです。ベランダが通路であるという構造のため、洗濯物を干すだけでも人と接する機会が増えます。また、マンションへの入口が一箇所であるため、自然と人と人が触れあう機会が増えるのです。大家さんの話では以前は沢マンには4つの入口があったそうですが、人的触れ合いの機会を増やすためにあえて1つに減らしたそうです。デザインの上でも、すでに人的交流を促進させる仕組みが組込まれているのです。
我々が訪れる直前の2008年11月2日に、沢田マンション豊年祭というお祭が開催されました。これは沢マン住人挙げてのイベントだそうで、沢マン内に30以上の出店が立ち並び、県内外から1000人以上の人が訪れました。筆者はこの話を聞いたときに、「若者が勝手にやってるだけで、住人のお年寄は迷惑しているのでは?」とも思ったのですが、そこはしっかり説明をして、むしろ協力的だということに驚きました。マンション内でイベントをやるという感覚よりも、町のお祭という感覚に近いのかもしれません。
周辺地域としての沢マン
また沢マンは、違法建築という立場で行政から監視される立場でありながらも、社会弱者の受け入れ先であるという役割を担っています。それは、沢マンは家賃が安く、値上げが基本的になく、敷金礼金がなく、入居条件が大家さんの判断次第、という非常に制約が少ないためです。単に変ったマンションであるというだけでなく、駆け込み寺としての社会的責任を果しているという点が異色と言えます。
パーマカルチャーとしての沢マン
実際に訪れると、沢マンは緑が多いということに気付きます。外部からの目隠しも兼ねている花壇があり、いたる所に樹木や花、野菜が植えられています。特にスロープを下から登っている時に、スロープ脇の草花を見ていると、ふと山道を歩いている錯覚に襲われます。昨今のマンションではガーデニグができるようにバルコニーを広めにしたり、水栓をつけるのが一般的ですし、屋上緑化も進んでいます。しかし沢マンの場合は、 どのフロアにいても土と親しむ環境が最初から用意されている のです。
大家さん一家は、別に田畑を所持しており、そこでとれた野菜や米を住人に格安で販売してくれてもいます。6階の屋上にも畑で野菜を栽培し、ニワトリを飼育しており、材木から出た端材は焼却用のドラム缶で燃やして灰にして、畑の肥料としてまきます。野菜クズもコンポストとして肥料にします。マンション内で完結しているわけではありませんが、農業を含めた循環システムの中に沢マンが組込まれているのです。
こういった試みは、パーマカルチャー 12 という恒久的持続可能な環境を作りだすデザイン体系の実践と符号します。パーマカルチャーは、単なる田舎の農的生活体系ではなく、経済的にも生態学的にも健全で循環して持続するシステムのことです。沢マンは、昨今の環境問題に起因して話題になる 持続可能なシステム としても機能していると言ってよいのです。
ビジネスとして、住まいとして
これほどまでに異質で、特徴的な沢マンですが、ふと気づくのはこの建物は単なる自己実現の場ではなく、 賃貸マンション経営というビジネスのため と 自分が住まうため に作られたという事実です。
もしあなたが賃貸マンション経営で生計を立てたいと考えたら…人が借りやすい立地条件を選んで、建築コストは掛けたくないので、できるだけ画一化された構造で最低限の耐震性を確保すべく業者に発注し、住人の目を魅く目玉設備を内装に取り入れて、…といったビジネス判断で物事を決めるでしょう。当然、一旦作ってしまえば、住民の要望にいちいち応えていったら、コストが嵩むだけです。できるだけコストを掛けないようにするでしょう。
そこに住まう人も、賃貸マンションに対して要望を言ったところで、叶うわけもないと薄々感じていますから、今あるもので生活していくしかありません。極端に言うと、そこに住人がいかに いきいきと暮せる かという視点が入り込む余地はないのです。
しかしそこに大家として住まうとしたら、自分も暮しやすいようにデザインしなければなりません。顔を突き合わせて住人と話すことが多いので、要望を聞いたら、できる範囲で実現してあげたくなりますし、そもそも業者に発注してたらコストが掛るから、自分でやってしまった方がいいし、むしろ住人が範囲内で勝手に工夫してやってくれるなら、そっちの方が助かるし…と全く別のベクトルが働くことになります。
ビジネスとして成立させる、自分が使う、自己実現のために作る、といった要素がバランスよく機能して成立しているのが、今の沢マンだと感じました。
まとめ
沢マンは、一見建築プロセスのダイナミックさ、作り手のアイディアと職人技という観点ばかりが目に入ってしまいがちですが、実際に行ってみると、そこに住まう人、作り手であり大家である沢田さん、そして住人同士の関係性がむしろ印象的です。そして夫婦二人で作りあげたという 人間の可能性 を体現したという、真実だけがもつ説得力を見た人に与えてくれることは間違いありません。
「今もずっと開発途上」であり「毎日がメンテナンス」である沢マンは、長年の時代の変化に適応しながら、住人に住まい続けられ(=使い続けらる)、存在し続けることができる(=ビジネスとして成り立つ)、住居及び住人コミュニティの提供サービスの例としても、ITというサービスを提供し作り出す我々のヒントになるのではないでしょうか。
そして現代の都市が失いつつある人と人のつながり、人と土との関係、持続可能的なライフスタイルという、より大きな視点で見た時に、本当の沢マンの価値が見えてくるのではないかとも感じました。
沢田夫妻は、 沢マン という建築物、つまり モノ をデザインして、作りあげたように見えるかもしれません。しかし本当に彼らがデザインし、作りあげたものは、住人との関係性や、住人同士のコミュニティ、生活の糧といった コト だということに気づきました。よく モノづくり という側面が強調されがちな業界ですが、本当に我々が提供すべきは モノ ではなく、モノを通じて現われる コト であるということを勉強させてもらいました。
破天荒ではありますが、繊細な感性と、人情で作りあげられている沢マンに、是非皆さんも足を運んでオーラを体感してきてください。
謝辞
最後に、合宿に対して、準備段階から当日まで、告知、会場や料理の手配をして頂いた38号室Oさん、当日お話を聞かせて頂いた住人の皆様、忙しい中、宿泊やインタビューに際してご協力頂いた沢田家の皆様、「超一級資料」という書籍を通じて沢マンを伝えてくれた羽生田さん、加賀谷さん、そして一緒に合宿に参加して様々な気づきを与えてくれたアジャイルマインド勉強会の皆さん、「モノを通じてコトを作りあげる」というアイディアを与えてくれた天野勝さん、強引に共著を依頼して見事な原稿を書いていただいた安藤さん、そして合宿という形式の外出を心よく送り出してくれた妻、子供達に謝辞を述べて本稿を締めさせて頂きます。
-
: 特に断わりない場合は「大家さん」という表現の場合は、奥さんの「沢田裕江さん」を差します ↩
-
: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E7%94%B0%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3 ↩
-
: 「超一級資料」の作者である加賀谷さんに「リフトに乗るなら人生で遣り残したことがなくなってからにしたほうがいい」とのアドバイスを頂いていましたが、実際に乗ってみたところかなりゆっくりなスピードでした ↩
-
: アジャイルマインド勉強会とは、「アジャイル開発を実践している人、あるいはIT業界に関係なく、”アジャイルな”人たちに接触し、そこに共通するマインド(態度、姿勢、価値観)をあきらかにしていく」ことを目的としたグループです。 ↩
-
: アジャイルプロセス協議会の活動についてはこちらを参照 http://www.agileprocess.jp/ ↩
-
: 沢マンには2部屋宿泊できる部屋があります ↩
-
: 38号室はもともと倉庫だったのを部屋に階層して貸し出しているそうです ↩
-
: リフトはありますが滞在中にリフトをエレベーター代りに使っているのは見かけませんでした ↩
-
: スロープの傾斜は思ったよりはきついです ↩
-
: 単に「沢マンなら無条件に人との交流が持てるに違いない」という幻想を抱いて入居してくる人もいるそうですが、一般常識的なマナー、コミュニケーション能力がないとうまくいかないそうです ↩
-
: その原則、価値体系がXPに類似しており、Extreme Programming Explained 第二版にも参考書籍として取り上げられている http://www.pccj.net/ ↩